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クラオタの日常 最近のクラオタ活動10

カウンターテノール歌手が歌うポーランド歌曲 超人気者より、知る人ぞ知るアーティストを追いかけようと思いつつも、魅力あるアーティストにはどうしても引き寄せられてしまうのだ。 ブレイクダンスも踊るカウンターテノール歌手、 ヤクブ・ヨゼフ・オルリンスキ Jakub Józef Orliński の新譜はピアノ伴奏による歌曲。ずらりと並ぶポーランドの作曲家の中で私が名前を知っているのはシマノフスキぐらい。 カウンターテノール歌手が歌うポーランド語の曲というのも珍しいが、バロックアンサンブルとの協演が多いオルリンスキがピアニストと協演というのも珍しい。 オルリンスキとピアニストMichał Bielは、もう何年も一緒にポーランド歌曲をリサイタルで演奏している。時間をかけて音楽の理解を深め、表現を磨き、今ようやくレコーディング。この数年で突然出てきたスターのように見えても、地道に勉強し、活動してきた基盤があってのこと。バロックオペラや宗教曲を歌いながら、このような活動もしていたとは、知らなかった。 私はポーランド語など全然知らないし、ロシア語だって入門講座を少しかじっただけなのだが、ロシア語と似た単語が歌から聴こえてくる。ムニェ、ボージェ、クトー、カクダ など。スラヴ系の言葉はそれぞれけっこう似通っていると私は思っている。 言葉など分からなくても楽しんでもらえるのではとオルリンスキは言うが、私は言葉を分かりたい人間であり、雰囲気だけを楽しむなどつまらないという考えの人間だ。それでも、オルリンスキの声で聴くと・・・悔しいが言葉など分からなくても引き込まれるのだ。 さあ、あなたも聴いてみよう。 ピアニストも超優秀だと思う。2人はポーランドで出会った後、留学先のジュリアード音楽院(アメリカ)でも一緒に学んだそうだ。 Farewells | IDAGIO アルバム収録曲の最後の曲のレコーディング風景が公開されている。 ざっとブックレットを見たが、歌詞の英訳からはdeathやgraveのような暗い単語が目に付く。まあ、その辺はクラシック音楽の歌曲の基本だ。個人的に気になるのはシェイクスピア作のソネットのポーランド語版。(ただし、私が所有するシェイクスピアのソネット対訳本では飛ばされている番号・・・) クラシック音楽鑑賞は IDAGIO をオススメする。無料登録すれば、無制限に視

「ネガティブな人間とは関わらないようにしましょう」に反論する

生きることを素晴らしいと思う人もいれば、そうでない人もいる。それが多様性というものだ。 すべての人間は生きることを素晴らしいと思わなければいけないのか? それが人間に許される唯一の思想だとしたら、それは洗脳である。 残念なことに、世の中はポジティブ教という宗教が蔓延している。 ネガティブな人は、ポジティブ教に改宗しないと、友達として認めてもらえないとしたら、それは差別に当たるのでは? 周りにはネガティブな人間もいるし、ポジティブな人間もいる。それでいいではないか。 どっぷり影響を受けて悶々とする必要はない。 それぞれ、ほどほどに影響を受けたり、ほどほどに聞き流せばいいいだけのこと。お互いの存在を認めよう。 ちなみにクラシック音楽はネガティブな人間を受け入れてくれる数少ないジャンルである。 死の願望を歌う歌曲も沢山ある。 死を恐れながら憂鬱な気分で人生を生きた作曲家も多い。 ネガティブなパワーから芸術が生まれた。 現代を生きるクラシック音楽の演奏家たちは、表向きはポジティブ教の信者かもしれないが、そういったネガティブな作品や作曲家に心を寄せ、美しいと感じる繊細な心と、そういったものを受け入れる広い心を持ち合わせている人たちである。まさに芸術家だ。 「ネガティブな人間とは関わらないようにしましょう」という人生アドバイスを目にして落ち込んでしまったネガティブな人間は、ぜひクラシック音楽の世界に足を踏み入れてみよう! まずはシューベルトからスタートするなどいかがでしょうか? ワーグナーでもいいかも? マーラーは? シューマンもオススメよ。 他にもたくさんの音楽があなたを待っている!! あなたの世界が広がりますように!!

2022年5月11日 バンジャマン・アラール チェンバロリサイタル

過去記事でご紹介した、最近知ったチェンバロ奏者の演奏を聴きに行った。 浜離宮朝日ホール バンジャマン・アラール Benjamin Alard(チェンバロ) J. S. バッハ プログラム ------ シンフォニア第5番 変ホ長調 BWV791 フランス組曲 第4番 変ホ長調 BWV815 トッカータ ト長調 BWV916 協奏曲 ハ長調 BWV976 (原曲:ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲 RV265) ------ フランス風序曲 ロ短調 BWV831 イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971 ----- 知ったばかりの演奏者なのでよくわからないのだが、なぜか私は地味な格好で出てくると思っていた。なんと、予想に反してオレンジ色のジャケットでご登場!照明のせいで、正確な色は判断しにくいのだが、やや落ち着いた、くすんだオレンジという感じなのでは? 演奏したチェンバロの蓋の裏の色と同じような色。(蓋は開いているので、蓋の裏が見える。)ひょっとして合わせたのか?偶然か? ややカジュアル寄りのジャケットだがネクタイを締めている。 ジャケットのボタンは開けたままだが、お辞儀する時はボタンのあたりを抑えているので、ジャケットがだらっと広がらず、スマートな振る舞いに見える。問題なさそうだ。 私の知っている範囲での理解だが、本来は立っているときはボタンする、座るときは外す、というのがマナーらしい。ボタンをかけたまま座って演奏するとピアノでもヴァイオリンでも少々キツそうで見苦しいし、ボタンせずに挨拶するとジャケットがはだけて少々だらしない。ヨーロッパの演奏家はそのへんをきちんと守っているのだが、日本では知らずにボタンのまま演奏する人も多い(笑) チェンバロはおそらくコロナ禍前にここでオランダバッハ協会が演奏したときと同じチェンバロなのではと思う。何となく見覚えがある、ぐるぐるの脚・・・ 実をいうとチェンバロはそれほど親しんでいる楽器ではない。生演奏で、ソロというと、過去に1回か2回ぐらいしか聴いていないかもしれない。古楽アンサンブルで聴いたのもほんの数回。比較対象がないのでバンジャマン・アラールならではの特徴などは分からないのだが、音のため方、間の感じ方、じゃきじゃき刻むような歯切れのよいリズム感を楽しんだ。そのへんはモダンピアノではなくチェンバロで表現する方がおもしろいのだ。それ

「女性は共感を求めている」に反論する

これは当ブログの100本目の記事である。 書きたいことはいくらでもあるのだが、この世の誰とも話が合わないのだ。 この前、Googleからメッセージが届いた。 「今月はGoogleからの流入が5ビューでした!おめでとうございます!」 こ、これは、お笑いか? 実にバカバカしいブログ活動だ。 Googleでは確か、検索結果に表示されるだけで1とカウントするので、実際にページをクリックしてくれた人の数はゼロかもしれない。 では、スズキは誰かに読んでもらいたいか? そうでもないのかもしれない。 たとえば、読んでくれた感想が「へえ、そうなんだー!」とか「すごいねー!」とか「わかるー!」なら、はっきり言って読んでもらう意味などゼロだ。嬉しくも何ともない。 そもそも、そのような感想を言う人は、話の内容を少しも理解できていないだろう。理解できない相手には何も伝えたくない。疲れるだけ。虚しいだけ。やめておく。 世間では「女性は共感を求めている」と言う。ただ話を聞いてもらって、キョーカンしてもらいたい。褒めてもらいたい。やさしく、うなずいて欲しい。 ええ?!本当なのだろうか?! それって、意味あるのだろうか? どう考えてもつまらない会話だと思うのだが。。 私は共感など求めない。そんなことより、私の冒険を更に広げたり深めたりするアイデアを共有して欲しい。それから、あなた個人の意見を教えて欲しい。 あるいは、私の提供した話に興味を持って何かさらに調べてみたとか、実行してみたとか、行動したことを報告して欲しい。 自分の世界を広げること、誰かの世界を広げること、それは素晴らしいこと。意味のないキョーカンなどより素晴らしい。 アイデアを提案すると、嫌な顔する人がいるって? それについては、こう思う。アイデアは20~30ぐらい提案を受けて、ようやく1つか2つぐらい「それ、おもしろそう!やってみよう!」と思ってくれるものだ。そして、良い結果に繋がるのは、実行したアイデアの中のごく僅か。 つまり、例として挙げると、 アイデア100提案 そのうち20実行(良いと思ったアイデア+あまり乗り気でないアイデア) そのうち1~2ぐらい成功 なので、提案が1つや2つだけだと、気に入ってもらえない可能性が高く、嫌な顔をされてしまうのだろう。それで「助言などいらないから共感してあげよう」という可笑しなことになってしまう

サン=サーンス作曲 オペラ「サムソンとデリラ」

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オペラについて歌いながら熱く語る指揮者が好き。 マエストロ(あるいはマエストラ)たちを虜にするオペラという魔物を、私も激しく愛している。 奇妙な展開とドラマチックで濃厚な音楽! 歌い狂う歌手たち! むふふふふふ!!! (ああ、ますます世間一般と合わない。この世はつまらん。) オペラについて歌いながら熱く語る指揮者といえば、例えばアントニオ・パッパーノ。 イタリア系の両親のもとイギリスに生まれた。ロンドンのロイヤルオペラハウスのYouTubeチャンネルにはパッパーノがピアノを弾きながら、歌いながら、オペラを解説する動画がいくつもある。  今回観たのはフランスの作曲家カミーユ・サン=サーンス作曲の「サムソンとデリラ」の解説。今月パッパーノはこの作品の指揮に初挑戦。新しく作品を知る快感に酔いしれているご様子。今回はピアノはコレペティトゥア(歌手の歌稽古やリハーサルのピアノ伴奏をする人)のスージーさんに譲っている。 (ご覧の通り、室内でのマスク義務が不要となったイギリスではマスク姿は10人に1人もいないという感じ・・・) 「熱く語る」と言ったが、パッパーノの場合は勢いよく感情任せに喋ることはない。慎重に言葉を選びながら話すので、英語ネイティブではない私にとっては非常に分かりやすい。 解説で歌うのは(パッパーノやスージーの他は)カバー役の歌手なのだが、さすがロイヤルオペラハウス。カバー役の歌手たちも実力派。美しい悪女デリラ役のあの表情。すさまじい。 解説後は、なんとコレペティのスージーさんがホスト役でディレクターとトーク!知識豊富な当事者同士の濃く効率的な会話。短い時間を有効活用。スージーさんというキャラがまたイイ!彼女のような才能が欲しい。 こうしてスズキは感化された! スズキも「サムソンとデリラ」を鑑賞したい! 作品の存在は以前から知っていたし、上演情報も何度か目にしたことがあるのだが、まだ未鑑賞だ。 誰かが勝手にアップロードしたものではない正当な動画はあるだろうか? おお!あるではないか! ストーリーは旧約聖書より。ペリシテ人とヘブライ人の対立。 ヘブライ人を率いる怪力のリーダー、サムソンはペリシテ人の悪女で美女のデリラに恋して、うっかり自分の弱みを教えてしまう。捕らえられて目をえぐられたサムソンはヘブライの神に祈り、自分の命と引き換えに、勝利のお祭り騒ぎを楽しんで

メンデルスゾーンと姉ファニー

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まるで少女漫画から飛び出してきたような愛らしい少女のイラストをご覧いただこう! こちらは作曲家メンデルスゾーンの姉ファニー・・・  おっと!間違えた!ちがう!ちがう! 弟の方だ。つまり後の作曲家フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディである。 少女ではなく少年だ。 もう1つある。 描いたのはメンデルスゾーン家に出入りしていた画家ヴィルヘルム・ヘンゼル。ヘンゼルは後にメンデルスゾーンの姉ファニーと結婚。 フェリックス・メンデルスゾーン12歳の少年時代のお姿、どう感じるかい?「聡明そうなお坊ちゃま」というより、すでにアーティストの風格。桁違いのズバ抜けた知性を放つ恐るべし少年。当時のフェリックス少年のお友達といえば、ドイツを代表する文豪ゲーテ、72歳。早熟すぎる。 クラシック音楽を聴き始めた頃、メンデルスゾーンは別に私の好きな作曲家ではなかった。ヴァイオリン協奏曲やピアノの無言歌集などは素敵な作品だが、裕福で芸術文化にあふれる最高に知的な一族に生まれた苦労知らずの天才という背景にイラっとした心の狭いスズキだった。(だって、まったく正反対の家に生まれたわたしにとっては、当然うらやましいというか、ズルイというか。。。) そのような考え方を変えるきっかけがいくつかあった。(今ではもちろん好きな作曲家の1人だ。) 1つは、メンデルスゾーン作曲の弦楽四重奏曲第6番を知ったこと。これは姉ファニーの急逝にショックを受けたメンデルスゾーンがその想いをぶつけた悲劇的な雰囲気が強い作品。何かに取り憑かれて書き上げたような、霊感のようなものを感じる。ゾッとするほどの絶望感。 優雅で美しい幸せな人。そう思い込んでいたときに発見した、とんでもなく激しい気性。気になるよね。。 それから、2016年のライプツィヒ(ドイツ)訪問。当地ゆかりの作曲家の1人であるメンデルスゾーンについて調べた。上のイラストは旅の前の予習として読んだ本で見つけたもの。 優雅で美しい幸せな人という印象からはつい忘れてしまうのだが、メンデルスゾーンも短命だった作曲家の1人。4つ年上の姉ファニーの急逝のわずか数か月後にフェリックス・メンデルスゾーンも死去。享年38歳。 一族のうち複数名が若くして脳卒中で亡くなっている。フェリックスの死因としても脳卒中が考えられるという。遺伝的なものなのだろうか。 また、そのような遺伝的なもの

世界一つまらない国、日本に住んでます

この国のイベントはなぜ子供向けイベントばかりなのだろう。 その他のイベントといえば、ついこの前まで子供だった若者向けのイベントぐらい。 いわゆる「大人向け」のイベントであっても、内容は子供向けイベントとさほど変わらない。 何にも分からなくていいから、雰囲気だけ楽しめと言うだけのもの。 アホくさい。 大人は仕事や家族の世話で忙しすぎるのでイベントを楽しむ必要はないということなのだろう。 事実、この国の大人は忙し過ぎて好奇心など持てない。新しいことを学ぼうという意欲もない。 大人が人生を楽しめない国。 最悪だ。 だからこの国にはつまらない大人ばかり。 文化的にも人間的にも魅力のない国。 大人がつまらなそうに生きているから子供たちは希望を失う。 大人になりたくない。ずっと子供でいよう。 こうして子供気質で全然おもしろくない大人が量産される。 カッコイイ大人がいる国がうらやましい。

東京散歩 ー 写真を撮るむなしさ

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昨日の混雑激しい銀座→京橋→日本橋は忘れて、本日は溜池山王→赤坂→紀尾井を歩く。わたしにとっては20年ぐらい前から馴染みのエリアだが、コロナ禍以降は足が遠のいていた。久し振りの訪問。 全国から東京に殺到する人々からは、あまり注目されていないのだろう。ほどほどの人出。普通に歩ける。 スズキさん、ご覧!小鳥さんよ! あなたはもしかして幻の白いシカ?! 過去ブログ記事のとおり、「消費」と「浪費(良い意味での贅沢)」の新しい意味を自分なりに理解したのだが、写真を撮ることについても想うところがある。わたしも含め、多くの人にとって、写真撮影は「浪費」したいのに結局「消費」してしまうもの。 美しさを楽しんだり、想いを表現したり、心を豊かにするアート的な活用ができるはずなのに、目の前にあるものを撮るだけの「消費」としての撮影ばかりしてしまう。 その結果、ひたすら撮り続けるだけで、いつまでも満足できない。まさに「消費」だ。 技術が発達し、無限に写真を撮れるようになったせいで、人間は大量の写真を撮るようになった。 ネットを通じて世界に向けて公開する方法はたくさんあるのだが、有名人でもない限り、誰も観てくれない。「あなたの観てあげるから、わたしのも観てね」という暗黙の関係を結ぶしかない。そうすると、大量の写真投稿に何らかの反応してあげるため、人々はもうスピードで写真を閲覧する。1枚あたり平均0.5秒。撮る方が「消費」なら、観る方も「消費」だ。 写真をネット上で共有することに飽きた人々は、共有をやめる。誰の目にも触れない写真を大量にスマホやデジタルカメラに溜め込む。撮った本人でさえ、撮ったことをそのうち忘れてしまう。そのような存在感の薄い写真たちは、本当にこの世に存在していると言えるのだろうか。 こうして価値のないものと決めつけられた憐れな写真たちが半永久的に眠っている一方で、美術館の展示会で公開されたり、写真集として出版されるプロの写真家による作品もある。 先週末のことだが、アーティゾン美術館を訪問した。同時開催の3つの企画展のうち、1つが写真展だった。写真家、柴田敏雄の作品と鈴木理策の作品。コンクリートやダムなどの風景が洒落たモダンな幾何学模様に見える柴田さんの作品。モネが睡蓮を描いた場所で撮られた鈴木さんの作品にはくっきり水面に映った樹々。 お2人のような写真をわたしもどこかで撮った

映画館で歌舞伎 東劇 桜姫東文章 下の巻

映画館歌舞伎初体験第二弾。 四代目鶴屋南北らによる脚本で一八一七年江戸にて初演。 上の巻に続いて、下の巻もスズキは東銀座の東劇で鑑賞。 ではストーリーをスズキの解説とツッコミで簡単に説明しよう。 前回までのあらすじはこうだ。 長谷寺の修行僧の清玄(せいげん)は稚児の白菊丸と道ならぬ恋に落ちて共に心中を図る。白菊丸は女物のお着物姿。 はて、稚児とは女の子もいたのだろうか? いや、やはり男らしい。いまWikipediaで確認したら、「大規模寺院における稚児」という説明があり、それによると、12~18歳の少年修行僧(稚児)は女装することもあり少女と見分けが付かなかったとか。 来世で結ばれたいと、先に荒れ狂う江の島の海に飛び込んだ白菊丸。後を追うぞと叫びながら、恐くて飛び込めない清玄さん。(おい!) 年若い恋人を一人で死なせてしまった後ろめたさを抱えながらも、十七年後、清玄は高僧として人々の尊敬を集める。 不幸が重なった吉田家のお姫様、桜姫は浮世に失望して出家して剃髪したいと言う。清玄が念仏を唱えると、生まれつき動かなかった桜姫の手が開き、手の中からなんと白菊丸の形見の香箱が飛び出す!香箱の中には「清玄」の文字! うろたえる清玄。(もちろん心中のことは誰にも言えない。) 桜姫は死んだ白菊丸の生まれ変わりに違いない! 出家の準備をする桜姫のところに悪い男、権助が現れる。権助の腕の彫り物を見た瞬間、桜姫の頬が赤く染まる! 「あなたさまは・・・」 なんと桜姫、1年前に暗闇の中で見知らぬ男に襲われたのだった。身ごもり、こっそり嬰児を産み落とした。暗闇で顔さえよく見えなかったのだが、桜姫はその男に猛烈に恋したのだった。男と同じ刺青を自分の腕に入れて、再会を夢見ていたのだ! (あれ?顔さえ見えない暗闇なのに、刺青ははっきり見えたのかい?!) こうして再び逢瀬を楽しむ二人。 ところが、家の者たちにバレて大騒ぎ。権助はすぐさま逃げる。不義の相手は誰だと問い詰められて困惑する桜姫。その現場に「清玄」の文字が入った香箱が!こうしてなぜか相手は清玄ということになってしまった。 清玄は無実の罪をかぶる。誰にも言えない過去、死んだ白菊丸への申し訳なさ、白菊丸の生まれ変わりである桜姫を想うあまり、清玄は無実の罪で桜姫と共に鞭打たれた。 お家を追い出された桜姫。里子に出した赤ん坊まで押し付けられて途方に

今、もしヨーロッパ旅をしたら・・・シミュレーション

コロナ感染中の人と1時間半もトークした! もちろんオンラインだけど。 「じゃあ日曜にスカイプでね!わたしと娘はコロナだけど、わたしはもう回復しつつあるから!」とドイツ人のBちゃん。 さすがポジティブ人間。絶賛ネガティブモード継続中のスズキとわざわざお喋りしたいというだけでも見上げたものだが、いきなりコロナと聞いてびっくりしてしまった。 経路はこうだ。家族ぐるみで付き合いのある友人の誕生日パーティーで、30人ほど集まったのだが、そのうちの1人が体調不良。でも何度検査しても陰性だからということだったのだが、やはりその人がコロナだったらしい。パーティー参加者の多くが感染したとのこと。 小学生の娘さんは週3回自分で自宅で感染検査をする。Bちゃんも毎週月曜に自分で検査する。それで感染が発覚。2人ともしばらくステイホーム。ばっちり赤い線が2本出ている検査結果を見せてくれた。わたしは感染検査について何も知らないのだが、ネットで調べてみたところ、抗原検査なのではと思う。ちなみに一家で何故かBちゃんの旦那さんだけが感染を免れた。3人ともワクチンは接種済み。 話を聞くと、どうも検査結果が必ずしも常に正確ではないらしい。何度も陰性だったのに、症状がひどくなって病院に行ったら感染が判明したというケースは、Bちゃん周辺で何件かあるそうだ。 誰もが自宅で定期的に(けっこう頻繁に)感染検査を受けているのか・・・ 方や、それほど感染検査が普及していない日本。検査で確認できない分、体調不良であれば念のためパーティーは欠席するだろう。いや、人によるのかな? Bちゃんは少し顔が赤かったが、確かに元気そうだ。1時間半の間、咳き込むこともなく、鼻をかむこともなく、普通にお喋りした。最初は熱や関節痛などを含め普通の風邪のような症状が出たと言う。娘さんは一時40度も熱が出たというが、すでに解熱剤で熱は下がった。 コロナ感染がそれほど怖いものではないのは、よくわかった。(それでもできることなら感染したくない。普通の風邪だって十分いやな気分になる。きっとわたしはノドや鼻の症状が長引く。家に閉じこもるのも運動不足で鬱々だろう。庭付きの田舎に住むBちゃんとは違う。) この事例からわかること。 今のドイツ(あるいはヨーロッパ各国)には感染しているのに気づかずに普通に過ごしている人がけっこういるのだろう。自主検査はしている